ヒトは一人で生きてゆく

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引きこもり社会人の備忘録

LIMBOの感想と解釈のようなもの

STEAMの2020オータムセールでLIMBOとINSIDEを購入しました。
あとは地球防衛軍4.1とSTARDEW VALLEY。

いままで気になっていて買っていなかったものをまとめて買ってみました。

まずINSIDEを先に一通りクリアして、そのあとLIMBOをやりました。
アクションが苦手な方なので、INSIDEがなければLIMBOはやらなかったと思います。

やってみて、INSIDEはアクションでてこずることはなかったのですが、LIMBOは最初の虎バサミを飛び越えるまでに4回死にました。
それでも攻略サイトなしで3時間ちょっとでクリアまで行けました。
途中煮詰まった挙句、解法がパッと閃くことも何度か。あの時の「俺天才!」感は癖になってしまいそうです。

 

LIMBOの考察のようなものを少々。

「運命に逆らい、妹を探して少年は LIMBO の世界に足を踏み入れる」


クリア後に感じたものは、「これ以外にはない」というくらい明確な一つの解釈でした。

まず、LIMBO(辺獄)とはカトリックにおける神学上の仮説だそうです。
他の考察サイトでは「地獄と現世の境目」としているものが多いように思いますが、自分は「洗礼を受けずに死んだ善人(それに準ずるもの、幼児も含む)が行くところ」というのが強いと思います。
洗礼前に死んだわが子が地獄に行かねばならないのはかわいそう、という親心を掬い取るために、カトリックが長い年月かけて編み出した裏技のようなもの、のように感じました。

さてそこで

エンディングにおける二つの死体。これは兄と妹の二人であることは間違いないでしょう。

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二人の死は確定です。

この画面を見て真っ先に感じたのは。

梯子が切れて落下死した妹。
その妹を追って木の上から身を投げた兄。

という構図です。

二つの死体は生々しくハエがたかっていますので、時間的にはほぼ同時に死んだもの。

つまりLIMBOという考えと、「運命」「妹を探して」という言葉、画面の情報を素直に読み取れば、

「洗礼前の妹が、縄梯子が切れて落下死。洗礼が済んでいた兄だったが、死ねば妹に会えると思い、直後(少なくとも数日後)に飛び降り自殺。(ここはいくつか可能性がある。自分の作った縄梯子が切れたせいで妹が死んだ自責の念で自殺した、なんてことも)
兄はLIMBOには行けず、地獄へ行った。カトリックにおいて自殺は罪。行くのは天国ではなくLIMBOでもなく地獄。
ゲーム冒頭に渡った川はアケローン川。これは「地獄」との境界をなす川。

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ゲーム内で進んでいたステージはすべて地獄。死に戻り死に戻りを繰り返すのは地獄の責め苦に比定できる。内容もしかり。
序盤、罠や仕掛けも虎バサミやクモ、トゲ、岩といった当たり障りのないものだったのに、ステージ後半エンディング(LIMBO)に近づくにつれて歯車ノコギリ、マシンガン果ては磁石や重力といった機械的なものになっていくのは、LIMBOが地獄に比べてより現世に近い存在だからではないかと。

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そしてラスト、ガラスのような境界、誰も超えることを許されなかった地獄とLIMBOの境界線というまさに運命を突き破ってようやくLIMBOにたどりつた兄。そこで妹と再会できました。」

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キリスト教では信仰を得ることをしばしば目覚めに例えます。
洗礼を受けた兄の目が開いていて、洗礼を受けていない(信仰に目覚めていない)妹を含めその他の人、物は目を開いていない

 

というのが自分の解釈でした。